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Posted by 諭吉セブン
 
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野望
何となく友達だとか仲間だというわけではない。
私を理解し認めてくれて
出逢ってくれてありがとう。

ズーニーさんの講座で始めて“みほさん”と会った時
青森のともこさんに似ていると思った。
でも話せば話すほど似ていないとも思った。
なのに何で第一印象で「似てる!!」と思ったのだろう。
そして本人にまで
「何で似てると思ったのかわからない」と言うと
もちろんご本人はともこさんの事など全く知らないので
笑うしかないという感じ。
「ゆっくり考えてわかったら連絡する」と伝えた。

ズーニーさんの講座に通った去年の10月から今年の1月、
その間、何度かメールのやりとりやワークもして
とても楽しかったし
懇親会の後、最後に電車の中で
彼女と別れる時は寂しかったな。
それからずーっと考えていた。
なぜ「似ている」と思ったのか。

自信満々に見えるその口ぶりや
あっさりした男っぽい所も
一つ間違えたら勘に触るけど
何だか全部心地良く感じた。
彼女のズーニーさんの講座の卒業課題には
出し切った爽快感がいっぱいあって
こちらまで気持ちよかったが
どこかで思ったのは
彼女の実力はこんなものではない。
彼女の引き込まれて癖になりそうな文章は
まだそこにエピローグしかなかった。
みほさんの次の文章が
早く読みたくて仕方ない。

_IGP6454.jpg

ズーニーさんの講座の最終日のことを少し。

京都からお菓子を持っていった。
つい先日、みほさんのお婆ちゃんが
亡くなったとブログで知り
お葬式などが終わって一段落したら
家中でガス自殺みたいに
疲れた家族がバタバタ倒れて寝ているとあった。
「お供えに」と渡したお菓子を
「お昼を食べてないから、今ちょっと食べていい?」と
彼女は包装紙をあっさりと破り
バクバクとと食べ初めた。
私はちょっとびっくりして
「おばあちゃんに」と言う。
「うん、わかってる。残してちゃんと持って帰るから」
そう言っているのに私はきっと
変な顔をしていたと思う。
しかし、冷静に考えると
亡くなったお婆ちゃんが生き返って
クッキーを食べられるわけでなくて
今、生きている人が食べて
元気になってくれたら供養になるはずやん。
「ごめん、好きなだけ食べてね」と
言いかけようとしたが
「おいしい、ちゃんと持って帰るよ」と
ご機嫌な笑顔でパクパク食べていた。
それがとても新鮮で自由だなと感じた。

最後に一人一人が卒業課題を発表した。
読む人もいれば、解説する人
歌う人などいろんな人がいる中で
彼女は衣装も凝っていたし
きっと誰もがその“表現”を忘れないだろう。
でも彼女が最後の最後に言ったことは
「私を忘れないでね」だった。
聞いた瞬間に私の血が全部凍った気がした。
私は彼女の何もわかっていなかった。
ズーニーさんの講座で学んだ「相手理解」
夫を理解し、友達や周りの人を
少しは理解でき出したと思ったのに
京都から一人講座に通う私に
一番声を掛けてくれていたのに
目の前の彼女を理解できていなかった。

堂々と話していても
わかったように話していても
誰も“そのまんま”ではない。
自信がなかったり弱い部分もあって
それがその人の魅力であり強さなのに
私はまだまだうわべしか見ていない。
彼女は私が講座の中で課題として書いた文章の全部を
ちゃんと理解し感想をくれた。
それぞれの受講生の卒業作品に寄せた私のコメントまで
感想を聞かせてくれた。
宿題ではないのに
受講生全員の作品の感想を
プリントして全員に手渡してくれた。
こっちは理解してもらっていたのに
どこまでを私も、そして皆も
みほさんのことを理解していたのだろう。
「忘れないで」はとても切なかった。
でもきっと皆そうなのかな。
「初めまして」と名前を伝えることも
顔や名前を覚えてくれて
再会した時に声を掛けられ喜ぶことも
自分の言葉で思いを伝えようとするのも
「自分を覚えておいて欲しい」
「忘れないで」が根底にきっとあるはず。
そんな根っこの根っこを
表現として裸で見せてくれて
むきだしでぶつかってくれている。
きっと誤解されることも
中傷されることもあったかも知れない
それでも彼女は根っこでぶつかろうとする。
それはきっと今までの人生の中で
家族や他人との関わりで
悩み抜いた結果で
むきだしでつきあおうと
無意識にしているのかも知れない。

_IGP6453.jpg

聞き上手な人と話すとついつい
調子に乗って話してしまい過ぎるのが普通だと思う。
そしてその“聞き上手な人”の話を聞くのを忘れてしまう。
コーチングを生業としているみほさんは
相手の話を聞き、分析し理解し
いつもうまくまとめてくれるので相手は浮かれてしまい
相手に「この人を理解しよう」という
意識が働かないのかも知れない。
私のことをわかってくれているのに
私は彼女のことをまるでわかっていなかった。
それがわかって涙が溢れて止まらず
ハンカチを探していたら
クライマックスを見損ねた。

ズーニーさんから賞をいただいた時も
隣の席でも懇親会でも
とても喜んでくれた。
そしてズーニーさんが“ある場所”で
私の作品を褒めてくれたことを知った彼女は
携帯を押す指が震えたと
その文章を読んでくれて
速報のようにメールで知らせてくれた。
ことの重大性がわかっていないのと
照れくささで真正面から喜べない私の代わり
とても興奮して喜んでくれた。
「他人のことなのに何でこんなに嬉しいのかな。
 仲間意識かな?」
彼女から来たメールをみて
そしてやっと私も気づいた。

_IGP6447.jpg

他人のことをまるで自分のことのように
喜んだり悲しんだり出来ること
器用なようで本当は不器用なこと
実は繊細で傷つきやすいのに
元気に見せたり大きく見せること
そうかと思うと子供のように純粋に
自分の気持ちに素直なこと
それは全部、私自身で
大好きな友達が
欠かさず持ってくれている要素でもある。

そして青森のとも子さんに似ていると思ったということは
最初に顔を見た時からきっと
「この人、何だか好きやわ」と
私の中の何かが気付いたんだとわかった。
だってブログを読み続けて
一年前に青森のともこさんと初めて会った時
嬉しくて号泣したもの。
そんな人に似ていると思った人を
好きでないわけがないもの。

そして何かが通じているかのように
ブログで私が取り上げた記事を
みほさんは同じ日のほぼ同じ時間にアップしていた。
それは青森のともこさんに教えてもらった
東京での“ダイアログインザダーク”だった。
一緒に行ったわけではないのにと
とても不思議で鳥肌がたった。
ズーニーさんの卒業課題のタイトルは
私が締め切りの数日前に修正しなければ
全く同じになるはずだった。
何かが通じていることは確信出来た。

そんなみほさんに私の妄想を話したら
それはあっさり野望に変わり
そして簡単に映像が浮かんで
着る物までイメージが出来た。
「具体的にイメージ出来ないものは実現しないけど
 しっかりとイメージ出来るものは実現する」
確か気功でそんなことを習った。

東京でかけがえのないものを
たくさん得て帰ってきた。
「書く力」や「伝える力」だけではない。
傷つくことを恐れずに
泣いたりいろんなものにぶつかりながらも
本質で生きようと体当たりで教えてくれた人。
私を理解し表現してくれる
大切な大切な友達であり仲間。
それでも私が軽いうわっつらだけの
言葉や文章を並べたら
さっさとどこかへ行くのだろう。
そうならないように私自身も
下手でもかっこ悪くてももいい、
しっかりと軸を持って
血の通った“自分の言葉”を使っていきたい。
野望も実現したいので
一緒にがんばろうね。

そして今度は私が、彼女を理解する番だ。






 





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