スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Posted by 諭吉セブン
 
[スポンサー広告
聞こえる、聞こえない ~倍音声明と齋藤さんの写真~
私に大きく欠けているものの一つが
“集中力”だと自覚している。
何かをしていても違うことを考えたり
すぐに飽きてしまったり。
皆を誘って遊びに行ったはずなのに
友達は皆、楽しんでいるのに
一人、さっさと飽きて
帰りたくなったことも何度もある。
以前、仕事でミーティングしている途中で
少し離れた場所でナース同士の会話が
聞こえたので少し口を出した。
その時、会議に出ていた東京本社の人が
「あなたは頭の回転が他人より速すぎる。
 いろんな所に気が行き過ぎて
 あちこちの声を拾うから
 頭の中が常にくるくる回っているのね」と言われた。
これは誉め言葉のようにも聞こえなくないが
昔でいう“くるくるパー”と言われている気がした。

集中力を鈍らせる原因の一つが
以前、少し書いたが
私が“絶対音感”であることや
同時にいくつかの声を聞いてしまうことだ。
音楽を仕事にも趣味にもしていない今
絶対音感はあまり役に立たないし
何かの音がドレミに聞こえたり
まわりの音が全部耳に入ってくるせいで
目の前の人と話しているのに
隣の席や後ろの人の会話も同時に聞こえ
人の声以外の音も全部拾ってしまう。
私が集中するためには
とことん静かな神社仏閣か山の中。
又は、ガンガンにうるさい大音量で
音楽がかかっている場所など
極端な所しかないのかも知れない。

_IGP9659.jpg

気功仲間の金沢のしずえさん
今年の春“倍音声明”を体験された。
倍音声明は母音の
ウ⇒オ⇒ア⇒イ⇒エ⇒沈黙 を繰り返す
チベット密教の修行の一つらしい。
ホーミーとは又違う感じで
もともとは一人でやる修行というか瞑想で
ダイナミックに大勢で声を合わせれば
「そこにないはずの声」が聞こえやすくなるらしい。
修行であるけど浄化作用もあるので
終わった後は体が軽くなったり
感覚が鋭くなる人もいるみたい。
私がこれを体験すると
どんなふうに感じるのか、聞こえるのか
次に関西で行われる時は
絶対参加したいと思っていた。

先日、念願だったこの倍音声明に
大阪で参加することが出来た。
私も周りの人も皆
「ウ~オ~ア~イ~エ」しか言っていないのに
その声の間には
確かに歌が聞こえてきたり
いろんな楽器の音が聞こえたりしていた。
最初は練習で一重の輪になって
次は二重の輪になって内側の人は外向きに座り
音のシャワーを全身で浴びる感じ。
最後は歩きながらも行った。
いろんな音が聞こえるけど
耳鳴りでも幻聴でもなくて
これは体に響き、
人と声を合わせることで自分が耳で拾っている
音らしい。

講師の成瀬先生がヨガの先生なので
参加者はヨガや太極拳などをやっている
独特の雰囲気の人ばかりかと思った。
会場に着くと服装もきっちりされている
カルチャースクールに参加している感じの
年配の上品な人が多く
体を動かすことに
あまり縁がないような方も(失礼)いらっしゃった。
年齢層も高めで
(50~60代くらいの人が多い)
これは毎回違うみたいで
8割、9割が初参加らしい。
50人以上は集まったこの人たちは
皆、どこでどう聞いて
この場に来られているのだろう。
そして終わった後は口々に
「楽器の音が聞こえた」
「太鼓がドンドン鳴っていた」とか
「無性に泣きたくなった」
「眠くてしょうがなかった」と感想をおっしゃる。
私だけでなくその場にいた人がそれぞれ
いろんな声や音を聞いていた。

_IGP9679.jpg

私はあくびばかり出てしまい(気功の時と同じ)
最初はあくびだけでなく、
声を出し続けることで咳込んだ。
それでも声を出していると
続けるうちに咳は止まって
大きな太い声が出るようになった。
終わった後は約2時間、声を出しっぱなしなのに
不思議に疲れず体は軽くなった。
その場にないはずの声が探りたくて
歩きながら声を出している時などは
必死で周りの人の声を聴きながら歩いたけど
性別や年齢などの違いで声の高低差などあるものの
やっぱり歌を歌っている人もいないし
楽器のような声を出している人もいない。
とても貴重で不思議な体験をした。
怪しさも宗教っぽさもなく
又、参加したいなと思ったし
自分の耳に嫌でも入ってくるいろんな音を
雑音としてでなく
もっと上手につきあえて
もっと音を意識して暮らせるようにしよう。
街に出ると嫌でも音が聞こえるけど
自分に必要なものとそうでないものを
もっと自然に聞いたり聞き流せたりしたら
私の集中力は何とかなるかも知れない。

その翌日、ほぼ日で
写真家である齋藤さんの写真を見た。
それは今までみたことのある写真とは
又、違う質感に思えた。
特に障がいを持っている人の
写真から受ける“その人の持つ強さ”とか。
*もうこのページは整理されてしまったけど
以前はスライドショーで
かなりの枚数の写真が見られるようになっていた。

この人の言葉が素晴らしい。

  カメラマンから被写体への
  一方通行的なものでなく持ち上げるのでもなく
  こちらが耳が聞こえないから
  (齋藤さんは耳が聞こえない)
  相手にも何かしらのアクションで
  意思表示してもらわないといけない
  その中で見つける“接点”
            
聞こえるからどうとか
聞こえないからどうとかでなくて
写真を撮る時、人と接する時
相手から感じる温度やその人の心の中まで
私はどこまで感じて
どこまで気付いて
接点を見つけようとしているのだろう。
もちろんわかればいいものでもない。

_IGP9603.jpg

普通の人より耳が聞こえ過ぎるとか
聞こえ過ぎて集中出来ないと言ってたことが
ちょっと恥しくなった。
倍音声明を体験して
気のせいか感覚が少し鋭くなっている所に
抜群のタイミングで見た写真は
とても衝撃的だった。
私の中で何かが
崩れたのか、生まれたのか
少しずつ変わっていく気がした。
それが写真に出るか
文章に出るのか
それとも他人と接した時に
何時頃から変わるのかはわからないけど。

そんなことを考えていた数日後
又、別の新しい場所で味わった
不思議な体験がある。
それは又、次回にでも。

                                                                                                                                                                                                                                                                              




スポンサーサイト
Posted by 諭吉セブン
comment:0  
[diary
comment
comment posting














 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。