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Posted by 諭吉セブン
 
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畳がある、紅葉がある
気功の学校も今日と来月もう一回で終わり。
この一年、絶対に休むものかと通った。
と言っても場所はとても近いけど。
この場にいる人達と出逢えたことも
この場で一緒に学べることも
偶然ではなくてきっと何かの意味はあるのだろう。
鎌倉の人、沖縄の人と
遠方からも月に一度
当たり前のように集まって
ずっと昔からの知り合いのように話す。
同じ場で勉強し
一緒にご飯を食べて
ゲラゲラ笑うのも普通で自然に感じるけど
来年からは早々会えなくなったりするだろう。
そして又、いいタイミングで
自然に会えたり出来ますように。

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天野先生の話もどんどん深くなる。
そのことが興味深かったり
あと一回の予感をほんの少し感じたりもする。

世界は自分を通してある。
それ以外の世界は有り得ない。
畳がある、畳があることの認識。
自分がいなくなれば
畳があるかどうかもわからない。
畳はどんな過程を経て
色んな人の手や智恵を介して
ここに存在するのか。
畳が畳としての存在を一瞬に気付くようになれば
自分の存在も大切に出来る。
そんな話が続く。

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先生の言葉を頭に周りを見渡す。
色んなものがごく自然にそこに存在する。
かばん、洋服、畳、ペン、ノート
窓の外には紅葉が溢れている。
それぞれが生み出された過程や
何人もの人の手を渡って自分の前に
あたりまえのように存在すること。
それを瞬間に気付けば
自分自身は実はちっぽけではなくて
一人ひとりが大切な存在なんだと気付く。

今、ここではまとめようとして
少し整理できているけど
この言葉をもっともっと私が理解して
噛み砕いて話せたら
いじめにあったり人生に絶望している人に
何かの光を与えられるのかも知れない。

私は気功の学校に行った翌日、
昨日学んだことを誰かに話そうとするけど
「畳は畳として存在する」
みたいな感じで、まるでわけがわからない話になる。

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壁を取り払う。
誰とでも仲良くではなくて
必要、不必要を分ける。
壁が出来たら又取り払って
再びワクを取り払ったり
違う枠組みで見る。
観念から自由になる。

そんな午前中の講義を聞いた後、
お弁当を持ってお昼のランチは疎水沿いへ歩く。
お天気も良くちょうどいい感じのベンチと椅子を囲む。
今年の初めに気功の学校で紙に書いて願ったことが
大方叶った人が多い。
私も色々やっているし
「叶ったでしょう?」と聞かれたけど
バレーに必死になって大阪大会で優勝し
東京の決勝へ進出したり
突然、料理教室に通うことになったり
カメラやブログを始めることなど
全く予想していなかった。
私の願いは結構ちっぽけだった。
「年末に今年1年、とても充実して
いい一年だったと思って新しい年が迎えられました」と書いた部分は
しっかり叶えられたと胸をはって言えて
明日を夢見られるということが
とても幸せなことだったんだと
何度も何度もかみしめる。

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月に一度、会うたび私はいろんな物に手をつけ
あれをやっているだのこれを初めただの
くるくる話が飛躍していく中で
皆さん本当に良く付き合って下さった。
そしていつも誰もが「止めたほうがいいよ」と言わずに
「いいね」「いいんじゃない」と言って下さった。
 *関西弁少なし。
その言葉にどれだけ励まされて
一ヵ月後に皆さんに
いい報告が出来るようにと思えたかわからない。
「だめ」とか「それは無理」「止めたほうがいいよ」とか
そんな固定概念からくる言葉が
ここには全く似合わない。
私に対してだけでなく
それは誰かが何かを始めた時にも必ずそうだった。
自由で相手を自分のワクに入れようとしない
そんな優しさにいつもいつも包まれて
私の気功を学ぶ日々が続いたし、
これからもこんな仲間がいれば
きっと私は『未知の何か』に挑戦したくなるのかな。
その言葉がどれだけ嬉しかったか
感謝したかわからない。

私:「一眼のカメラ買おうと思う」
 まさこさん:「いい写真撮ってね。
  沖縄のゲストハウスに撮った写真を飾るね」
私:「料理教室に通うことにした」
 たけやまさん「何を作ってきても試食するよ」
私:「今度○○やるんです」
 北村さん:「いいわねー、今年はとてもいい年ね」
 みほこさん:「わー、おもしろそう」
諭吉セブンの更新をとても楽しみにしてくれている岡田さんなど

そんな感じでいつもいつも笑顔で聞いてくれた。
いつでも素直で楽でいられた。
自分を良く見せたいとか
変なプライドもなくて
相手の言葉の裏を読む必要もない。
いつも純粋な気持ちで
これからのことを語ることが出来た。

誰かが何かを始める時
背中をすーっと押せるような
希望も不安も全て受け止めて
ふわっと包み込めるように
そんな力をこれからは私自身が
もっともっとつけたい。
みなさん、本当にありがとう。

午後からは教える「リード」の実技で
7人のグループでそれぞれが順にリード役をする。
これがとても緊張した。
ヨガでも養成講座でこんな風に
グループで前に立って練習したけど
始める前に先生に
「言葉はなるべく少なく」
「可能な限り息や呼吸を指示しない」
というのは
ヨガと正反対な所もあって
おまけに慣れていない照れくささも加わった。
しかし、自分のリードはひどかったけど
他の方のリードはとても新鮮だった。
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気功では
「相手を操作しない = 自分を整える」
なので自らが整うことが大切というのを
この一年学んできた。
自分の気持ちよさを優先する
自分に力が入ったり偏っていれば
ついて来る人は決して緩まないのだろう。
天野先生の気功の気持ちよさは
教えながらも、何より先生自身が誰よりも
気功を楽しんでいる姿を見せてくれるからなのかも知れない。
それにしても皆さんとても自由に動かれて楽しそう。
自分自身の変化はまるでわからないけど
他の人の変化ははっきりわかる。
自分の目に映る人は
それも又鏡であって自分自身なんだろうと思う。
見ているとやっぱり楽しくなり
それがきっと本質なんだろうと思える。
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家に帰って諭吉と桃ちゃんを見る。
外は寒くても家の中は温かい。
ほかほかカーペットの上で
くつろぐこの子達を見ていて
何て気持ち良さそうなんだろう、
私もつられてちょっとだけ寝ようかなーと
ほかほかカーペットで寝てしまう。
「あっ、これって気功を教える」かも?
まず自分の気持ちよさを優先
自分が楽に自分のしたいように
誰もついてこなくても気にしなくてもいいくらい
人を操作しようと思わずに
まず自分を整える。
先生はそれこそが気功を教えることだと話していた。

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しかし猫達は痛めないけど
私は毎日つられて床でうたた寝をするせいで
すっかり冬場は腰痛持ちになる。
猫と人では骨格が違うんだと
腰をさすりながら思うけど
それでも目の前の気持ち良さそうな姿の誘惑には
毎晩あっさり負けてしまう。
そして又、明日も腰を擦りながら
腰が痛い・・・と思いながら
今日も仕事に行ってきます。












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Posted by 諭吉セブン
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