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Posted by 諭吉セブン
 
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カウントダウン
悩んで悩んで選択したこと
もう後戻りできないけど
ちゃんと背中を押してくれた人がいた。

今から4年ほど前、当時の事業部長が
突然、会社に来なくなった。
いつも誰よりも元気だったのに
うつ病になって
いつ復帰するかわからないらしい。
同じ時期、同じ会社の少し離れた所でホーム長をしている
優しい男性が自殺した。
気付けば“元ホーム長”で
メンタルの病気の人が社内にゴロゴロといた。
私自身はそんな心配はなさそうだけど
孤独な仕事だなーと感じることもあるし
追い詰められる時はとことん追い詰められる。
そして誰も助けてくれないこともある。
考え方を変えて
休日出勤はしないことにし
しっかり休みをとることにした。
自分の時間を大切にして
仕事以外の人との出逢いを
どんどん広げていった。
誰よりもがんばって皆を引っ張れなくても
頼りなくても無責任に見えてもいい。
何か起こっても会社に出てくる
『逃げない人』になろうと思った。

_IGP6668.jpg

それから4年経ち
いろんなことがあった。
「心臓に何本も毛が生えている」と言われ
上から言われることにいちいち動じないようにし
優先順位は自分でつける。
ホームの飲み会は行くけど
年に数回ある
ホーム長や事業部長なとが集まっての宴会には
一度も参加したことがない。
上の人に媚びないと決めた。
しかしこれは嫌われることも多くなるので
周りの人に『とばっちり』が行くこともある。
それでもいちいち評価を気にせず働くと
自由になった。
老人ホームの引越しという
昨年の大イベントも落ち着き
これから安定したサービスの質を
高めていかないといけない時だけど
引越しからちょうと一年、
予定通りに退職を決心した。

理由は今ここにはっきり書けない。
それでもスタッフさんや
ご入居者さんやご家族さん
皆さん大好きな人ばかりだったので
お別れは身を切るように寂しい。
早く皆に言おうと思ったけど
なかなか言い出せなかった。
それでも話すリミットの日は
皆が大好きな『てるさん』が天国に旅立った日。
どさくさにまぎれるのか
悲しみに輪をかけるのか
そんな日になってしまった。

ミーティングなどがあるわけでもないので
一人、二人と呼び出して話していく。
泣いてくれる人、茫然とする人。
一人一人の反応をダイレクトに見てしまい
どんどん悲しくなってきた。
「今まで一緒にがんばろう」と言ってた私が
突然目の前からいなくなる。
その事実は私が勝手に考えていた何倍も
皆にショックを与えたことに
自分が一番ショックを受けていたかも知れない。
新卒で入ったスタッフさんにとっては
私は最初の上司で管理職の社会人だし
ご入居者の家族にとっては
自分の大切な父や母の人生の最期を
信じて託した人になる。

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自分の選択は間違っていたのではないか
“大好きな人達を悲しませる”
それが本当に望んでいたことなのか。
そしてあまりにも無謀過ぎるのではないか。
ぐったり折れて崩れそうな気持ちに襲われた瞬間に
東京のズーニーさんの講座で知り合った
仲間が二人、知らせてくれた。
私のズーニーさんに送ったメールが
『ほぼ日』で採用されているらしい。
(美保子さん、美穂さんありがとう)
 
「不思議なほど怖くない。
 手放すものも大きいけど
 手に入れられるものも多くて楽しみ」と。

一週間前に送ったそのメールには
腹をくくった私がいた。
ズーニーさんのコラムを読んだ誰かが
そのメールを見て
何かを感じたり心が揺れているかも知れない。
少なくともズーニーさんは何かを感じて
採用して下さったのだろう。
その人達の応援も背中に感じて
踏み出していこうと思った。
このタイミングの素晴らしさに
何かエネルギーみたいな
強さを感じた。

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「いつも守られている感じがした」
「後ろにいてくれる安心感を感じてた」

何人かのスタッフさんが
私に言ってくれた言葉。
その言葉の一つ一つが温かくて有難くて
胸の奥までじんわり響いていく。
今まで会議や個人の面談中に
「守っているからね」とか「安心して働いて」と
口に出したことはないけど
それは私がいつも思っていたことだった。

大切な人達、大切な場所。
最後に大きな仕事も残っているけど
慈しむように残りの時間を
大切に働いていこうと思う。
みんな本当にありがとうね。

Posted by 諭吉セブン
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[仕事のこと
学ぶこと
「高齢者さんと接する中で
 何か学べることはありますか?」
老人ホームで働こうと応募してきた人に
面接で私が聞く質問の一つである。

てるさんの命日は
4年に1回しかない2月29日となった。
もうだめかもしれないと
何度も何度も山を越えてこの2年、
小さな体でがんばってこられた。
ご家族は姉妹が交代で毎日誰か訪問され
お部屋からはいつも
優しい音楽が流れていた。

“名は体を現す”と言うとおり
その名前に込められた願いは
人の生き方さえ、左右するのかも知れない。
てるさんはまさしく
ご家族からとっても
私達スタッフから見ても“光”そのものだった。
いつでも笑顔で
「ありがとう」と言って下さった。
そしてとても褒め上手で
「あなたきれいね」
「あなたかわいいわね」
「優しいこと言ってくれるわね」
そんなことを
みんなに分け隔てなく
まるで口癖のように言って下さった。
車イスを後ろから押すスタッフさんと一緒に
歌を歌いながら廊下やエレベーターでも
歌われている姿は
いつも楽しくて嬉しそうだった。
緊急搬送の時は
息が絶え絶えなのに
「私、元気よ。ありがとう。」と
こちらに気を遣って歌われだしたので
あやうく緊急隊員の人に
救急車から降ろされそうになった。
(元気だと思われて)
通院に付添うと
目が合う人、皆に手を振っては
にこにこ笑顔を振りまかれるので
「わー、かわいいおばあちゃん」と
知らない人が集まってきたこともあった。
自分の気持ちを歌にされることが得意だった。
スタッフがバタバタして対応できない時は
「いつまでここにいたらいいの♪」とか
点滴が上手く入らず、痛い思いをさせてしまった時は
「痛いことだけして、あなたは去っていくのね♪」と
部屋から立ち去るナースに歌った。
一番良く耳に残っているのは
「嬉しいな、嬉しいな♪ほいほい♪」
その楽しそうな明るい歌声は
スタッフ皆をいつも幸せに導いてくれた。

お通夜に何人かのスタッフさんが行ってくれて
私は代表で一人、告別式に行く。
家族葬の式は
お身内以外、私と知らない女性の二人だけだった。
お坊さんのお経がやたらと長くて45分もあったので
その間、一人ビービー泣きながら
てるさんの遺影の周りに
何でもいいから何か見えないかと考えた。
泣きながらも目を凝らしていたけど
見ても、何度見ても
きれいな花に囲まれた、笑顔の遺影以外に
何も見えなかった。

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娘さんやその家族も
てるさんにそっくりな
陽だまりの様な笑顔を見せられる。
今日は告別式で私を見るなり皆さんに泣かれたけど
涙を流しながらも
何度も笑顔を見せようとして下さった。
笑顔は伝染するものなんだなと
いつもご家族を見て思っていた。
てるさんの長い人生の
ほんの最後の数年でも
関われた私達は本当に幸せだった。
てるさんが私達に与えたくれたもの
てるさんから学んだことは
多すぎて書き切れない。
痩せた体は痛々しかったけど
あの優しい笑顔はいつでも思い出せる。
スタッフやご家族が掛けた言葉は
「ありがとう」が共通語で
「もうがんばらなくてもいいね」
「ゆっくり休んでね」
それは誰もが思っていることだろう。

「高齢者さんと接する中で学んだことは?」
それは昨日の面接で
私が応募してきたナースに投げた質問だった。
「学んだことですか?高齢者から学べること?
 いや、あの、わかりません。」
困惑してその人は答えていたっけ。
面接の後、上司に怒られた。
「君の質問は難しすぎるわ」と。
「そうかな、基本でしょ」と言いながら
私はその場を後にする。

仕事で出逢った人に
何を学ぶか、学べるかもその人次第。
学ばないといけないとは決まっていない。
出逢った意味もないと思う人もいるけど
わかっていない、気づいていないだけで
そこに何かの理由はあると
私はいつも信じたい。

うちのスタッフさん達は
今日は皆、悲しくて泣いていたけど
すぐにいつもの笑顔で
高齢者さんに接している。
てるさんから学んだたくさんのこと
てるさんから与えられた
優しい笑顔やキラキラした言葉をきっと
たくさんの“光”として
私達は生きていけるだろう。

ご冥福を心からお祈りします。
どうぞ安らかに。





Posted by 諭吉セブン
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[仕事のこと
かます
泣いたのは悲しかったのではない。
その手が優しかったから。

「あなたのお母さんは
 何も一人では出来ないんですね。
 これもあれもそれも全部」
そんな風に言われて
嫌な気持ちにならない人はいない。

仕事で介護保険の認定調査に立ち合う。
これは体の機能や生活の様子を聞いて見て調査し
要介護1だの要介護5だのを決めて
それによって介護保険料が変わったり
それによってケアの内容が変わる。
私の働いている老人ホームでは
介護度にそんなに関係なく必要なケアをするので
会社がそれで成り立っているとはいえ
働いている私達にはあまり関係ないと言えば関係ない。
在宅なんかだとこれによって
お家で暮らせるかどうかの境目になるので
何とか介護度を重くみせて
ヘルパーさんにたくさん来てもらったり
ディサービスの回数を増やして
何とかやっている家族も多いだろう。
介護度を決めるのは
その地域の委託された事業所からやってくる
調査員が調査し
主治医の意見書を元に
行政の委員会で決める。
調査員は介護支援専門員、ケアマネさん。
とても優しく素敵な人もいれば
無神経な人もいる。
福祉にかかわるからと言って
皆いい人とは決して限らない。
悪い人ではないのだけど
無神経な人もいる。
入居者さんはその認定調査の時
いつもと変わらない人もいれば
血圧が上がるくらい必死で自分の手足を動かし
元気だと、健康そうですね、と言って欲しい為に
介護度を上げないようにがんばってしまう人もいる。

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私よりかなり年上のその調査員さんは
悪気はないけど思いやりがなかった。
これも出来ませんね、あれも出来ませんね
全部できませんね。
一つ一つまるで嫌味のように
同席してくれた娘さんを前にして
お母さんの出来ないことをあげていく。
嫌がらせではないのだけど
その調査用紙に書いてあるものを
マニュアル通り読む必要はないはずだ。
ご自分でお食事をすることも
誰かに気持ちを語ることも難しい
重度の要介護5の人だと私は最初に話しているよね?
娘さんの前でそれを
何度も何度も確認する必要性がわからない。
そもそも認知症や他の病気などがあっても
もう数年で百歳を迎えるまで生きておられるのだし
そのお母さんの姿を支えに
息子さんも娘さんも
いろんなことがあっても
「お母さんよりは先に死ねない」と
奮い立って生きようとしているのに。

何とか流れを変えようと
話を変えたり方向性を変えたりするのだけど
その調査員さんには全く通じないまま
どんどん調査は進んでいく。
私が腹が立っているのだし
隣に座る娘さんはきっと
腹も立っているし悲しいだろう。
老人ホームで管理職をやっている立場では
こんな時、声をあらげることも出来ない。
テーブルをひっくり返してやりたくもなり
怒鳴ってやりたい気持ちを必死で抑え
調査は淡々と進んでいった。

「耳は聞こえてますか?」の質問に
私と娘さんは「はい、聞こえてます」と言う。
入居者さんは話せないけど
しっかりとした意思があって
ベットから車椅子に移るのは怖がられるし
吸引のスイッチの音で口をつぐむ。
だからスタッフは皆
話しかけて慎重に声にならない声を
聞き取ろうとしている。
すると調査員さんの声は大きくなり
「そうでしょうか?本当に聞こえていると思うんですか?」
 私はそう思いません。だって耳が聞こえていれば普通、
 目が動いたりするけど目も動きませんでしたよ
 聞こえていませんよ、絶対。」
そう言い続けるので私はいよいよ怒ってしまい
感情を抑えながら冷静に話した。
「私たちは“思い”でご本人と接しています。
 どこまで聞こえておられるかはご本人にしかわからないけど
 声を掛け表情を見て、聞こえていると思って働いています。
 娘さんも同じです。お母さんは自分が娘が来ていると
 わかっていると思って来て下さっているし
 声も届いていると思うから来るたびに
 話し掛けて下さっています。
 そちらは調査のお仕事なので
 冷静に客観的に見られるのは仕方ないことですが
 私達に聞かれずにご自分で判断されて書かれたらどうですか?
 私も娘さんも“思い”でご本人とは接していますから」
娘さんは隣で静かに何度もうなずいてくれた。

そこまで言ってもこの調査員には
何も通じなかったらしくて
「えっ、だって聞こえてないと思いますよ」と続ける。
もうあかんわ、この人。
とりあえず早く帰ってもらえるように
私は淡々と答えて
やっと調査は終わった。

調査員を見送った後
私の中に抑えていた感情が吹き出した。
娘さんはどれだけ傷つき
どれだけ腹が立っていただろう。
それでも私は真横にいながら
この人を守りきれなかった。
それがただ悔しくて
深々と頭を下げて謝った。
すると娘さんは私の背中を撫でながら
「あなたが謝るのはおかしい。
 あの人がおかしいのよ。
 母のことも人でなく物やと思っているから。
 ただ仕事と思ってやっているから
 平気で人を傷つける言葉を言えるんやわ。
 ありがとう、母のことをそんなに思ってくれて
 怒ってくれて悲しんでくれてありがとう。」
そう言って何度も私の背中を
優しい手で撫でてくれた。
私はその手が温かくて
ポロポロと泣いてしまった。

まだまだ溢れてくる悔しさ
そして自分の無力さに
その日はスタッフさんに一日中
ブツブツ聞いてもらいながら過ごした。
娘さんはそれから少し経って
真っ赤な目をしてホームを後にされた。

夕方、スタッフさんからその後
娘さんはお部屋でお母さんに話し掛けて
怒っておられたと聞いた。
そしてひとしきり怒った後に
「お母さん、さっきの調査員の人に
 屁でもかましてやったら良かったな」
とおっしゃっていたらしい!
さすがは大阪の人、すごいな。
げらげらと無邪気に笑えないけど
その発想にちょっと笑えてほっとした。

*お二人の名誉の為に
 娘さんも入居者さんもとても上品な人なので
 怒って屁をかますような人ではありません、念の為。

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*写真と記事は無関係です。
カラーは痛々しいですが元気になってきた
桃ちゃん(上)諭吉とななちゃん(下)
ご心配かけました。










Posted by 諭吉セブン
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[仕事のこと
優しい手
4月も月末に近付いたある日、私は職場のYさんと一緒に
南海電鉄で和歌山に向かっていた。
お弁当やお菓子や飲み物
何だかリポビタンまでたくさん買い込んで
特急で楽しそうに出掛けているように見えるけど
目的はスタッフさんのお見舞い。
なのでカメラももちろん持っていない。

一時間に一本しかないバスにタイミングよく乗れて
目的の病院へ着く。
まずは本当にこの病院にスタッフさんがいるのか確認して
それから花を買いに行く。
前日、スタッフさんのご主人と電話でお話して
もう一度病院の名前だけを確認した。
「和歌山までお見舞いに行きます」
と言えばきっと気を使われるので言わないでおこう。

そんなわけで会えるのかもわからないのに
和歌山までやってきた。
数日前、突然の電話で
旅先の和歌山で大ケガをして
しばらくお休みされるらしいということ以外に
何の情報もない。
何が起こったのかもわからなくて
誰もが心配した。
こっそり様子だけでも見にいくことになったけど
この数日は心配で
携帯やメールが届くたびに
何かあったのかとドキドキする。

病室に入ると個人情報の関係で
どこに誰が寝ているのかもわからない。
重症の人と同じ病室だったので
気管切開されている方と
スタッフさんのコルセット一瞬重なって見えて
2人で立ち尽くした。
去年は去年でサービスリーダーのR子さんが
軽い手術のつもりで入院したのに
大変なことが起こってしまったけど
その時のR子さんは今も変わらず一緒に働いてくれている。
あの時も病室に初めて入る時は怖くて怖くて
階段に立ち尽くすYさんを励まして引っ張った。
だから大丈夫と自分達を励まして
ベットに寝ているスタッフさんを見つけ声を掛ける。

「絶対に泣かんとこね」
そう言っていたのにベットの上で
スタッフさんがびっくりして喜んで涙ぐんで
Yさんも泣いたので結局、私も泣いてしまった。
何度か一緒に遊びに行ったこともあるのに
5年も一緒に働いているのに
私は彼女の手を握るのが初めてだった。
暖かい小さな手。
こんな小さな手で
大きな男性の高齢者さんを支えたり
何度も同じことを言って不安で歩き続ける人の
手を優しく繋いだりしてくれていたんだ。
身近にいたのに
気付いているようで
感じている気がするだけで何も感じていない。
そんな自分の小ささにぞっーとしながらも
老人ホームの引越しのことで
目の前に次々に起こるいろんなことに精一杯で
きっと優しいこの人にも
たくさん負担をかけてしまったんだろう。
「しんどい」「疲れた」などと
彼女は絶対に口にしない。
きっと私よりだいぶ年上なので
しんどかっただろうし疲れも出るだろう。
彼女がいつも変わらず
穏やかに笑ってくれる優しい笑顔に
私自身がどれだけ力をいただいたことか。

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ごめんね、という気持ち。
そして生きてくれていて
本当にありがとうという気持ちが交差して
何度も涙をこらえる。
すっかり喜んで話していると
帰りのバスは行ったばかりだった。
病院の真ん前にあるバス停には看板が立っていた。

 バスを待っている病院へ来られた方へ
 社員が市内に行くこともあるので
 お送り出来る時もあります。
 良ければ事務所内でバスをお待ち下さい。
  ○○自動車販売所


「なんや、めっちゃ親切やん、和歌山の人。
 送ってもらおう!」
そういって○○自動車販売所の事務所を探す。
大きなトラックが道に停まって
そのトラックを横目に事務所に入った。
テーブルと椅子が置いてあったので
ここで待てばいいのだろう。
「あのトラック、助手席に荷物がいっぱいで
どうもあのトラックには載せてもらえなさそう」
Yさんが真面目に話すので私も真面目に答える。
「あれはキャリアカーやから違うよ、
△△運送って書いてあるから」

結局バスがくるまでずーっとその場で話している
うるさい女二人を
誰もどこへも送ってくれなくて
時間通りに到着したバスに乗り込み帰路に着いた。
行きは緊張して話し続け
帰りは安堵感で話し続け
結局ずーっと話していたけど、何だか話は尽きない。
職場でこんなにゆっくり話せることはなかった。
これからのこと
入居者さんのこと、スタッフさんのこと
そして前日9時になっても終わらなかった会議の事
いっぱい話を聞いたし話をした。
きっとこんな時間も私達には必要やね、
お互いに言い合って大阪で別れた。

次は絶対に和歌山に遊びに行きたい。
お見舞いに行ったスタッフさんはもうすぐ
大阪に転院する予定となってほっと安心した。

一日も早い回復を皆で心から祈っています。
Posted by 諭吉セブン
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[仕事のこと
お別れ会
沖縄から戻って来ました!
奇跡のような嬉しいことが起こったけど
それはもう少し落ち着いてから書きますね。
読んで下さっている皆様
本当にごめんなさい。

一週間も遡りますが先日のことを。


老人ホームの移転までもう少し。
いよいよ本当に忙しくなってきた。
そんな中で、お別れ会を開催した。

IMGP3850_convert_20110328222841.jpg     IMGP3851_convert_20110328222959.jpg
               IMGP3852_convert_20110328223048.jpg
            とってもかわいいスタッフさんのイラスト入り館内ポスター
                雅美ちゃんのイラストはいつだって温かい!



3月1日に新しいホームの引渡しが終わってから
バタバタととりあえず毎日が過ぎていって
何の手伝いも出来なかった。
スタッフさんが2月から準備してくれていた
この10年の思い出を振り返る
廊下に飾られた年表のようなアルバムは
いっぱいに貼られていた。
ご家族さんも思いのほかたくさん来て下さって
入居者さんとスタッフさんが作った
紙芝居や皆で作った替え歌
「思い出のアルバム」などの合唱や
パティシェ高橋(いつもの厨房のマネージャー)
の手作りシュークリームや
職人のようなスタッフのたこ焼き作りの横で
一つ一つの演目が終わっていく。

最後に私が一人ひとりの入居者さんに
スタッフからのコメントを読み上げながらの
感謝状のようなお一人お一人の
素敵な写真と押し花のラミネートのプレゼント。

そしてちょっとしたサプライズで私から
今日来て下さったご家族様への手紙と
スタッフや退職したり転勤したけど
この日に駆けつけてくれた方への
手紙総数、約40枚。

皆さんとても喜んで下さって
泣いてくれる人もいて
私もとても嬉しかった。
私のあまりない得意のことの一つに
字を書くのが妙に早いこと。
読むのも早いが書くのも早い。
これはあまり意識していなかったが
銀行で住宅ローンを組む時に感心された。
こんなに早く字を書ける人は知りませんだって。
*大げさだとは思いますが。

昨晩橿原神宮から京都の自宅まで
帰りは渋滞で3時間近くもかかったのに
30枚の手紙は夜中に1時間でかけて
その何か異様な速さと
そのわりには疲れていないことに
自分でもびっくり。
残りの10枚は朝から
来て下さる家族さんを確認してから書いた。
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一枚一枚大変だったでしょう?と
いろんな人に言われたけど
スラスラ書けたし、何よりも
昨日の参拝のおかげなのか
やっぱりエネルギーがみなぎっている感じがしなくもない?
私に橿原神宮行きをすすめてくれたナースも
「ずっと新しいホームとこっちを
 行ったりきたして忙しかったのに、
 今日は気持ちを切り替えてあんなに上手く話せて
 オーラを感じた、凄かった~」と
誉めて下さったけど
だいたいこの人、誉め上手なので
そこは冷静に受け止める私だった。

たまたま翌日
新しいスタッフさんが2人
増員で入ってきた。
昨日、お別れ会があってねーと話す私に
「誰かスタッフさん辞めるんですか?」
「入居者さんが他へ移るんですか?」と聞かれたので
いいえ、誰も辞めないし
誰もどこにも移られません。
皆全員で香里園の新しいホームに行くんですよと答える私。
「それではなぜお別れ会なんでしょう?建物にお別れ??」
と首をかしげられた。

そういわれればそう。
誰ともお別れはないわなぁ。
場所、建物が変わるだけなんだ。
当たり前のようにお別れ会をしていたので
そんなこと、あまり考えていなかった。
それでも愛着のあったこの場所は
皆が大好きだった場所。
たくさんの人を受け入れて
そして見送ってきた。
この場所で皆、泣いたり笑ったりしながら
皆で一緒に歩いてきた。
新しいホームも
大好きと思える場所になりますように。





Posted by 諭吉セブン
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